塾長インタビュー

8月某日、矢上キャンパスにて慶應義塾大学清家 篤塾長にインタビューをさせていただきました。

委員(以下委):今日は、慶應義塾のことや清家さんの学生時代のことについてお話を伺わせていただきます。どうぞよろしくお願いします。
塾長(以下塾):はい、お願いします。
:今年から、安西さんから清家さんに塾長が変ったのですが、塾生・受験生も今後慶應がどうなっていくのか、あるいは教育方針がどのように変わっていくのかと興味を持っていると思うのですが、どのような方針で今後発展していくのでしょうか。
:そうですね、慶應は教育研究機関ですから、その基本的な方針というのは、誰が塾長になっても変わらないわけです。それは、教育と研究の質を高めていきたいということで、慶應の場合にはあと慶應病院がありますから、医療の質をも、できるだけ高めていくということ、これに尽きますね。それがこれまでの慶應の方針だったし、これからも慶應の方針であり続けると思います。
:なるほど。清家さんは、学生時代、教授時代を過ごし、さらにこれからは塾長時代を過ごされていくわけですよね。 慶應の教育方針が変化しないとしても、自身が学生だった頃、教授だった頃、そして塾長になってから、慶應に対するイメージは変っていったと思うのですが、その辺のことをお聞きかせください。
:はい、変わったことと変ってないことと両方あると思います。学生頃から、あるいは教授になってから、そして今塾長になってから2カ月目ですからそんなに変わるはずもないのだけど、やはり慶應に対して一貫して変わらず持っている感謝の気持ちっていうのがあります。
清家塾長 :感謝の気持ち・・・と言いますと?
:非常に自由な学塾だってことですね。学生に対しても、個々を紳士淑女と認めて自由に勉強させる。当然、研究者に対しても、個々の自主性を最大限に尊重して、自由に研究活動をさせる。そういう、ひとりひとりに最大限の自由を与えて自分の頭でものを考えさせ、もちろんその結果についても、自分でその責任を取っていく。福澤先生のお考えと少しくっつけて言えば、独立自尊って言うのでしょうか、ひとりひとりの人間の自主性を重んじ、その中から力を引き出していく。そういう自由が慶應義塾にはずっと昔からあって、それを変わらず私はありがたいと思っているわけです。
変ったことというのは、もちろん学生から教員諭になると立場が変わります。成績は付けられる方から付ける方に変わるし、授業料を払う方から給料をもらう方に変わるわけだから、それは少し考え方も変わってきますよね。学生のときにはあまり責任はないわけですから、自分の思う通りいろんなことをやれたわけですけど。教員になると今度は責任がありますから、何でもかんでも自分の思い通りというわけにはいかないわけです。一定の方針に従って…たとえばちゃんと試験はやらなきゃいけないですしね(笑)。学生のときには授業に出なくたってそれは成績悪くなったりするかもしれないけど、個人の責任は問われない。教員になってもし授業やらなかったらそれは責任取られます。それでも、これまではそんなに大きくは、慶應に対する考え方は変わらなかったです。ただ塾長になると慶應義塾全体の運営の責任というか、特に財政の問題…一番大きいのはそこですね。学生の頃はもちろん、教授やあるいは学部長になってもまだ、とにかく学校から予算やなんやらもらってくる、学校になにかやってもらうということが基本的スタンスでした。それが塾長になるとなにしろお金の制約がありますから、この有限のお金をどのように有効に使うかっていうことに日夜頭を悩ますことになる。それが一番大きな違いと言えば違いかもしれません。だから、学生から教授・学部長あたりは、慶應義塾から何をしてもらうか、もちろんどういう貢献をするかも考えてはいましたけど、特にお金の面でいえばいかに予算をとってくるかを考えていたわけです。塾長になると、いかにお金を節約しなければいけないか、あるいはお金を作りだしていかなければいけないか、ここのところが非常に違うところですね。まぁ、一言でいえばお金の心配を今まではしなくて良かった。塾長になるとしなきゃいけない。それが辛いところですね。
:興味深いお話どうもありがとうございます。では次に、清家さんの学生時代のことをお話しいただければと思うのですが。
:学生時代の日吉の二年間というのは、やはり自分が何をしたいのかっていうことがよくわからなくて、いろんなことやっていましたね。もちろん勉強もそれなりにやっていたのだけど、かなりの時間を、たとえば高校までラグビーやっていたので、中学高校のラグビー部のコーチをやったりとか、それから友達と海や山へと、いろいろ遊びに行ったりなどしながら過ごしました。しかし、何か打ち込める勉強テーマっていうのはあまりなくて、経済学って、経済学を勉強すると世の中みんな分かるのかなって思っていたけどどうもそうじゃないみたいだし、なんかあんまり勉強面白くないなあって思いながら過ごしていたのですが、三田に来て、労働経済学のゼミに入ったわけです。そのときの先生が非常に若い先生で島田晴雄先生っていう、塾はもう定年になられたのですけど、今千葉商科大学の学長をされている先生です。その先生の労働経済学のゼミに入って、はじめて経済学が面白いと感じました。労働というのは人が働いたり働かなかったり、あるいは企業が人を雇ったり雇わなかったり、かなり人間くさい現象ですよね。それを経済学で読み説くことができるのだと、分析の対象になるのだ、ということがすごく自分には面白くて、卒業論文も労働経済学をテーマにして、今から考えればかなり幼稚な論文だったけれども、とても面白いテーマで書くことができたのです。それを通して、学問の面白さとか、自分のつくった仮説が統計で検証されるっていう醍醐味を味わうことができたのですね。それがきっかけで、研究の道に進もうかなと考えて、大学院に進み、研究者の仕事に就いたわけです。論文を書くっていうのは大切なことですよ!!
:あ、はい(笑) ところで、慶應には各キャンパスに文化祭がありますが、慶應にこれほど多くの文化祭があることについてどう思われますか?
:これはとてもいいことだと思いますね。やはりそれぞれのキャンパス・学部は慶應という統一の組織には属しているけれども、それぞれ独自の歴史だとか、文化とか伝統、個性を持っていて、こういうのを我々は統一の中の多様とか多様の中の統一と言っているわけですが、三田に三田祭があり、矢上には矢上祭があり、SFCにはSFCの学園祭があり、あるいは信濃町でも学園祭があり、それぞれのキャンパス独自の個性というか、あるいは伝統を生かした学園祭がずっと続いて、それでも一本その中に福澤精神というか、あるいは慶應義塾の統一性というのがある。その辺が私はほかの学校にない慶應の素晴らしさだなと。ですから矢上祭とか、私はとてもいいと思いますね。どんどん発展していって欲しいなって。
清家塾長 :やはりそういう形が慶應の個性と言うのでしょうか?
:そうですね、慶應らしいですね。あんまり統一的にひとつの学園祭にしちゃうとかそういうことをしないで、それぞれのキャンパスが自発的に多様な学園祭をやるっていう…これは本当に素晴らしいことであると思います。さっき言った、慶應の何が良いって自由で多様性を認めるところだと思うので、そういう意味で、こういう文化祭は続けていって欲しいなと思いますね。
:中でも、理工学部発信である矢上祭についても意見というか感想というか聞かせていただきたいのですが。
:はい、そもそも理工学というのは福澤先生が提唱した実学に繋がるわけですね。福澤先生は実学ということを強調していますが、実学という言葉にサイエンスというルビをふっているわけですよ。つまり福澤先生にとって実学っていうのはサイエンスなのですよね。対象が実体としてあって、そして自然科学であれば実験、社会科学であれば統計などによって検証することができるような実証科学。矢上の学生さんはそういう実証科学の精神を、すなわち福澤先生の実学の精神を、ある意味一番受け継いでいる学生さんだと思いますね。そういう意味でも矢上祭っていうのが福澤先生の実証精神・実学の精神をしっかりと表現してくれると嬉しい。
:それでは最後に、慶應義塾理工学部生へのメッセージをお願いします。
:やはり、理工学部の学生さんには、福澤先生が提唱された実学すなわち実証科学の精神というものをしっかり受け継いでいってもらいたいですね。これは具体的には、問題を見つけること、つまり誰かがもう検証した仮説は検証する必要がないから、まだ答えが見つかっていないオリジナルな仮説を構築して、その仮説をサイエンティフィックな方法で検証する。実験でもいいし、統計分析でもいいし、とにかく科学的に検証し、、そしてその結果を世に問う。そういう福澤先生の真の意味での実学つまり実証科学の精神というものを理工学部の学生さんにはぜひ受け継いで、発展させていってほしいなと、そういう風に思いますね。
:なるほど、今回お話を伺ってみて、私自身理工学に取り組む姿勢を見直せた気がします。今日は本当にどうもありがとうございました!!